【終活ブログ】地域交流・社会参加も終活です

安楽院の終活ブログ第14回、担当は編集Mです。

 

本日は2019年4月30日(火)、そう「平成」最後の日です。もう間もなく、新元号「令和」が始まりますね。

 

こういった一つの区切りを迎えると、何か新しい事を始めたくなりませんか?

 

私も、新年を迎える時などは「毎日○○を欠かさずやろう」「今年こそ○○○○へ行こう」などと目標を立てています。

 

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そして、そのほとんどが今(4月)となっては「あれ?何を目標にしていたんだっけ?」と綺麗に忘れてしまっています。

やはりどんな事でも「メモ」を取り、習慣にする事が大事なんだと、改めて感じている平成の最後です。

 

 

 

地域交流と社会参加の重要性

それでは、ここからが今回の終活ブログの本題です。

テーマは「地域交流・社会参加」です。

 

最近では、「孤独死」や「中高年引きこもりの増加」の増加の問題などがニュースや新聞などで報じられています。

 

高齢男性の一人暮らしでは、4人に1人が地域での付き合いが「ほとんど無い」そうです。

一方で女性は約5人に1人とのこと。(内閣府「社会意識に関する世論調査」H29)

男性の方がより地域コミュニティから孤立してしまう傾向があるという結果になっています。

 

こうなってしまうと元気に外に出歩くことも無くなれば、自分自身の健康や家の細々とした家事なんかも面倒になってしまいます。

では、自分自身がそうならない為にはどうすれば良いか。また、孤立してしまう人を減らし、地域全体での見守り体制を構築するにはどうすれば良いか。

私なりに調べ、考えてみました。

 

1.見守りネットワーク事業に参加する

老人の握手

 

 

各自治体が取り組む「見守りネットワーク事業」があります。

 

この「見守りネットワーク事業」は、独居世帯や孤立世帯の見守りを通じで、今まで住み慣れた地域で、安心して暮らせる地域づくりを目指しているとのこと。

 

これは、事業者単位で協定を結ぶものから、個人で登録をすることができるものまで、自治体によって様々です。

個人でも登録出来るので、興味のある方はお住いの市町村のHPを確認してみてください。

 

 

2.交流センターを活用する

ソファ

 

長野市では平成31年4月1日からいくつかの市立公民館が「交流センター」へと名称が変わりました。

 

一番大きく変わるのが、従来は半日単位での貸館受付が1時間単位でも受付られるようになった事でしょう。

今までは「場所を借りたいけど、先約があって無理だった」といった場合でも、

今後は1時間単位での貸館によって、利用できる幅が拡がりそうですね。

 

*新たに交流センターへ名称が変わったのは以下の施設

・長野市立柳原公民館 → 長野市柳原交流センター(長野市大字小島840-5)

・長野市立長沼公民館 → 長野市長沼交流センター(長野市大字穂保940)

・長野市立小田切公民館 → 長野市小田切交流センター(長野市大字山田中2545)

・長野市篠ノ井公民館 → 長野市篠ノ井交流センター(長野市篠ノ井御幣川281-1)

 

 

3.自治会や町内会へ参加する

町全体を見回した写真

 

 

この様な言葉を聞くと、「古臭い」「煩わしい」「面倒くさい」等と思われそうですが、自然災害が相次いでいる昨今、自治会や町内会の役割・存在が大きく見直されてきているんです。

 

個人でこれから参加する自治会などを探す場合、各市町村の窓口や社会福祉協議会などに出向いて相談をしてみると良いでしょう。

 

他にも、街づくりや地域安全の活動、生活支援、子育て支援、伝統技能を学ぶなど、色々な活動が考えられそうです。これらはほんの一部ですが、社会的な活動に参加することで多くの満足感を得る事ができるんです。

 

例えば、

 

①新しい友人と出会える

頑張ろうとしている男性と女性

 

共通の趣味やスポーツを通じて今まで知り合うことのなかった友人を見つけられるかも。

 

 

②地域との繋がりが深まる

会議

 

活動を通してその地域や、そこに暮らす人々の事を知ることができます。心と身体で地域との繋がりを感じられるはずです。

 

 

③健康維持や身だしなみに気を付けるようになる

ウォーキングをする老人

 

外に出て活動をするために健康により気をつけたり、身だしなみを整えるなど、心身にも良い影響がありそうですね。

 

 

 

等々。

社会参加は人生に良い影響を与えてくれるものが多そうです。

 

今まで培ってきた知恵や経験を生かして、地域社会でお互いに支え合って暮らしていく。

これこそが、地域交流の意義なのかもしれませんね。